浜松出身のライター・宮崎駿(みやざきしゅん)さんが綴る『知らずにいた故郷の誇り、遠州織物の今と未来』、第14回「安かろう悪かろうとも言えなくなった時代に」です。
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今回の取材を通じて、遠州織物が直面してきた変化を知った。産地が厳しい状況に置かれた要因はいくつもある。その一つが、海外で大量生産される製品が市場に増えたことだ。古橋織布が自販に踏み切った35年前、すでにその変化は始まっていた。
取材中、ふと気づいたことがある。僕自身、大量生産の服を当たり前のように着てきた。品質も良く、価格も手頃で、定番のデザイン。そういう服を、日常的に選んできた。その服がどこで作られたか、誰が作ったかなんて、考えたこともなかった。
昔は「安かろう悪かろう」という言葉があった。安いものは品質も悪い、すぐ壊れる、長持ちしない。だから良いものを作れば差別化できた。お客さんも「高いけど良いものだから」と納得して買ってくれた。シンプルな図式だった。十分に吟味してから買って、その一着を大切に、何年も着る。破れたら直して、また着る。服との付き合い方が、今とは全然違っていた。
ところが、今は違う。僕のクローゼットを開けると、そこにはユニクロの衣類がたくさんある。大学生の頃から毎年のように買い足してきて、全身ユニクロという日もちょくちょくあるほど。世界最大規模のアパレルメーカーが作る服。価格は手頃なのに、品質で困ったことは一度もない。むしろこの10年で、機能性も含めてクオリティは向上している。
品質が保証され、価格も手頃、デザインも悪くない。これが今の「普通」になった。安かろう悪かろうという言葉が、もう通用しない時代になった。
じゃあ、そんな時代に遠州織物はどういう立場なのか。価格帯は違う。どこでも買える手軽さもない。ユニクロのような服とは、明らかに違う土俵にいる。
でも最近思うのは、服選びが推し活に似てきたということだ。着るには十分な服が、いつでもどこでも手に入るようになった。だからこそ、それ以外の理由で服を選ぶ余裕が生まれた。推し活も合理性だけで選ぶわけじゃない。その人なりの理由があって、熱量を持って応援する。服選びも、そういう時代になってきた。

毎日着る服は、正直ユニクロで十分だ。僕のクローゼットからユニクロがなくなったら困る。でも、クローゼットに特別な普段着があってもいい。
ユニクロと遠州織物の違いは何だろうか。それは、何年も着続けることを想定しているかどうかだと思う。ユニクロの洋服も品質は十分だけど、1年ごとに買い換えるものだと思う。それはそれでいい。一方、遠州織物なら、着れば着るほど味が出て、自分の体に馴染んでくる。そういう楽しみ方がある。
昔は品質の差で服を選んでいた。今は品質が担保された上で、自分なりの理由で選ぶ時代。その理由こそが、推しポイントだ。
肌触りに惚れる人もいる。シャトル織機で織られた風合いに魅力を感じる人もいる。遠州織物の長い歴史に価値を見出す人もいるかもしれない。地元への愛着から選ぶ人もいるはずだ。

以前、実際に古橋織布の生地を触らせてもらった。一つ一つ、驚くほど違う。肌に吸い付くように柔らかいもの、素材感や光沢感が際立つもの、薄くて軽いのにしっかりとした強さがあるもの。同じ織物でも、ここまで表情が違うのか。そして、これが200品番。きっと誰もが、自分の肌に合う、自分が心地いいと感じる生地に出会える。そういう選択肢の豊富さがある。
古橋織布には200品番の生地がある。30年かけてブランドとの対話から生まれた、それぞれ違う個性を持つ生地たち。肌触りも光沢も厚みも風合いも全部違う。しかも、これはまだ古橋織布だけの話。遠州にはそれぞれの機屋が、それぞれの得意分野を磨いている。古橋織布の200品番、そして他の機屋の生地も合わせれば、選択肢は何倍にも広がる。きっと誰にでも「推し」が見つかるということ。自分なりの理由で、自分だけの一着を選べるということだ。そうやって探す過程も含めて、新しい服との付き合い方だと思う。安さや手軽さだけじゃない、自分なりの理由で選ぶ。そうすることで、一着一着を、より大切に着るようになる。
安かろう悪かろうの時代は終わった。これからは、自分なりの理由で選ぶ時代。推し活みたいに、自分の価値観で服を選ぶ。普段着の中に普通の服と特別な服、その両方があることで、服との付き合い方がもっと豊かになる。
遠州織物は、そんな新しい選び方ができる場所。200品番の中から、自分だけの推しを見つけにいく。そんな楽しみ方があってもいいんじゃないだろうか。










