浜松出身のライター・宮崎駿(みやざきしゅん)さんが綴る『知らずにいた故郷の誇り、遠州織物の今と未来』、第22回「MADE in JAPANだけではわからなかったこと」です。
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MADE in JAPAN とタグに書かれた服は、一本の糸から一着の洋服に仕上がるまで、すべての工程が日本国内でおこなわれたものだと思っていました。しかしMADE in JAPANという表示が示すのは、最終縫製地だけだと今になって知りました。
たとえば、ほとんどの工程を海外でおこなった服でも、最後の縫製さえ日本国内ですれば、MADE in JAPAN と表示ができる。つまりこの表示があっても、生地まで日本でつくられているとは限らないわけです。

生地から縫製まですべてが日本でつくられた、日本生まれ日本育ちの服はごくごくわずかしかないそうです。まずMADE in JAPANと表記できる洋服が、全体の1.1%ほど。そして、HUISの洋服のように日本で生産された生地で作られた洋服は、さらにそれを下回ります。数百着、もしかしたら千着に一着くらいなのかもしれません。
私は、MADE in JAPANに対して品質への安心感を持っていました。なので買い物をするときに、多少割高だったとしても、「長く使えるだろう」と思い選ぶことも。実際、愛用している腕時計や革靴は、どちらもMADE in JAPANの製品です。どちらもとてもいい買い物だったと今でも思っていますが、私の手元に届くまでどのような過程を経ていたのかまでは全く考えていませんでした。
過程に目を向けていなかったのは、これらに限った話ではありません。振り返ってみると私は、身のまわりのものについて、できあがったものだけを見て、そこにたどり着くまでの道のりにはほとんど目を向けてきませんでした。
食材を自分で買うときと、料理を食べるときとでは、産地への意識がまるで違います。食材なら、スーパーで浜松産の野菜を見かければ手が伸びますし、国産か外国産かを確かめてから買うこともあります。
ところが料理になると、とたんに意識が逸れてしまい、その一皿にどこの食材が使われているのかまでは気にしていません。お店によっては食材の産地を明記してくれていることもありますが、どこ産の食材を使っているかではなく、今食べたいものを最優先に考えてしまいます。さらに言えば、それがどう調理されてここに届いたのかも、考えたことがありませんでした。
洋服を選ぶときも同じでした。考えていたのは、デザインや価格、そしてMADE in JAPANという表記。肌触りや着心地も大事にしていましたが、その生地がどこで生まれたのか、どんな工程を経て服になったのかまでは、考えていませんでした。

そんな私が、洋服の生まれた場所や育つ過程まで意識するようになったのは、遠州織物のことを知ったからです。なかでも大きかったのが、以前古橋織布の作業場を訪ねたことでした。
お盆の時期で織機は止まっていましたが、ずらりと並んだ姿には静かな迫力がありました。織機にびっしりと張られたままの細い糸を前にすると、これを一本も乱さずに布へ織りあげる手仕事がどれほどのものか、素人の私には想像もつきません。それほどの手間が、この作業場で日々かけられている。遠州織物がたしかにこの土地で、人の手によってつくられているのだと実感しました。
おかげで、先日はじめてHUISのシャツを買ったとき、それまでとは違う考え方ができるようになっていました。それまで服を選ぶとき、私が見ていたのはできあがった姿だけでした。でもこのシャツには、生地を織った人がいて、その布を裁ち、縫いあげた人がいます。会ったことはなくても、たしかに誰かの手と時間がかかっている。目の前の一着は、ただの商品ではなく、たくさんの工程、人の手を通ってようやく私の手元に届いたものでした。

だからこそ、手元に届いたことがゴールではないと、いまは思います。これから手入れをして、長く付き合っていく時間も、この服がたどっていく道の続きだからです。そして反対にさかのぼれば、その始まりには遠州で織物がつくられてきた長い歴史があります。受け継がれてきたもののいちばん新しいところに、いま私がいる。自分もその流れの中にいると感じながら、これから大切に着ていきたいと思います。











