今年の春から、HUISでは遠州織物の洋服の生産過程で発生する端材を、市内の学校やこどもえんなどへ提供する取り組みをスタートしました。
「生地の端材」というのは主に縫製工場で生じるものです。
洋服を仕立てるためには、ロールに巻かれた長方形の生地をパターン通りに切り抜いて縫製しますが、その切り抜いた後の端などは廃棄するものになってしまいます。
縫製工場では少しでも多くの生地を洋服に使えるように切り抜くパターンを工夫し、できる限り廃棄する部分がでないようにしていますが、どうしても少しずつ端材は生じます。
通常、これらは廃棄物となりますが、端材であっても高価な遠州織物です。風合いがあって、手触りも本当に気持ちが良いこうした遠州織物の端材を、教育現場の工作などに使ってもらえればとはじめた取り組みでした。
4月からスタートしてこれまで、きなりこどもえんさん、中央なかがみこども園さん、蒲小学校さんからご希望をいただき、直接お伺いしてきました。子どもたちに端材の提供させてもらいながら、遠州織物や、遠州の地域産業についてのお話もさせていただいています。
また、端材の提供とは別の取り組みとして、先週は西小学校さんへ伺い、綿花の種をお配りしながら、同じ出前授業をさせていただきました。こどもたちには牛乳パックにひとつずつ種を植えてもらいました。大きくなった苗は学校の花壇で育てもらい、秋にはまた綿花の収穫をしてもらいます。
こちらの綿花の種は、綿花栽培プロジェクトに取り組んでいる久留女木の棚田で採れた種です。
春に蒔いた種は、夏に花を咲かせて秋に綿を収穫しますが、収穫した後に残る種は、畑に蒔いた時の50〜100倍ほどの量になります。この種をまた翌年に蒔き、毎年綿を収穫することができるため、綿は持続可能な天然資源なわけですが、実際、畑に蒔ききれないほどの種が採れることから、市内の学校現場で活用してもらえばと始めた取り組みです。
ありがたいことに端材の提供についても、綿花の種の提供についても、ご希望いただいている園や学校さんが他にもあり、今後も地域内に広げていきたいと思っています。
HUISがなぜこうした取り組みをしているのか、今日はあらためてお伝えできればと思い投稿させていただきました。
学校などに伺って出前授業をさせていただくと、児童・生徒たちだけでなく、先生方も一緒になって聞いてくださいますが、そうした先生方が口を揃えて言われるのが、
「遠州織物って言葉だけは知っていたけど、そんなすごい生地なんだって知らなかった」
というお話しです。
アパレル業界では高級シャツ生地として知られる広幅生地のほか、伝統ある和装用の小幅生地、バッグの紐などに使われる細幅生地など、さまざまな生地が作られているのが遠州産地の特徴です。
こうした遠州織物の多様性と、農林水産業から自動車・楽器産業につながる地域産業の歴史を、こどもたちにもできる限りわかりやすいよう解説させていただいています。
授業を終えるといつも先生方は、今日のような話をこどもたちにもっともっと教えていきたい、と言ってくださいます。
「今までこどもたちから遠州織物のことを聞かれても答えられなかった、でも知りたいという欲求に応えてあげたかった」という思いを話してくれる先生も多く、私たち自身も、教育現場で抱えられているジレンマを感じられる機会になっています。
知りたいという思い、伝えたいという思いがあっても、情報がないということはどうしようもないことです。それは、すごく歯がゆいことです。
なぜこの遠州地域に住む人に、遠州織物のことが知られてないのか?という理由がここにあります。
今現在、地域内の幼稚園から小中学校、高校・大学まで、教育現場に携わる方々が遠州織物のことを知る機会がほとんどなく、その結果、こどもたちに情報が提供される機会がないからです。
以前は、浜松市内の浜松工業高校に【繊維科】というものがありました。
この浜松工業高校が設立されたのは大正4年です。
かつては北寺島町にあり、「静岡県染織講習所」を前身とし“繊維業を学ぶ専門高等学校”として『織り』『染色』『図案』の3科で始まった学校でしたが、時代の流れとともに次第に機械全般を学ぶ高校へと姿を変えていき、2008年には高校設立の目的だった【繊維科】はなくなってしまいました。
遠州織物に関わる繊維関係者にはこの高校の出身の方も大変多くおられます。そして、繊維科が無くなった時のことをとても切なそうに話されます。
教育現場というカテゴリにおいては、当時は主に浜松工業高校から地域内の学校等へ情報提供が行われていたはずですが、こうした時代の流れの中で情報が薄まっていくのは仕方のないことでもあります。
今、遠州地域内の教育現場には遠州織物に関する情報がありません。
小中学校を取りまとめる教育委員会にも情報がなく、もう一歩話を進めると、情報を提供しうる行政の産業振興部局にも遠州織物に関する情報はほとんどないのが実情です。
行政に頼ることなく、自分たちの力で生き残りの道を切り拓いていったことが、今の遠州の機屋さんたちの技術が昇華されていった要因でもあります。
そんな遠州織物の実態を知り、思いを持ってくれた行政担当者の方ができることを孤軍奮闘してきてくれたというのが実情です。そうした中でentranceのような取り組みも生まれました。そうした歴代の担当者さんたちに、私たちは感謝しかありません。
さて、では地域内で情報が消えて無くなってしまうほどに繊維業が衰退しているのか、といえば真逆で、少なくともHUISの周りの事業者さんたちは常に多くの仕事を抱えていて、新規の仕事を受けられないほどの状態にあります。
ある機屋さんは、受注から生地出荷までが1年半待ちの状況です。
(詳細は以前のブログ→「遠州織物の生産量が減っている、本当の理由」https://1-huis.com/all/53774)
ただ、地域に住む方々に製品としての遠州織物が届くか、といえば、メゾンブランドなど一部の限られた領域にしか流通することのないのが遠州織物で、実際とても高価なものです。
一枚20万円もするようなシャツを、地元の人が触れて体感するという機会もないのが実際のところで、加えてメゾンの世界は情報をシークレットにする世界です。
だから、私たちは少なくとも触れてほしいと考えています。
触れて、気持ちよさを体感し、なぜそれが気持ちが良いのか、という説明を聞く機会があれば、興味が生まれます。その好奇心が遠州織物のことを知り、地域の歴史や産業を学ぶ原動力になります。地域の中で何かが変わっていくきっかけになると思っています。
今すぐ目に見える効果があるわけではありません。でも、きちんとひとつずつ続けていくことで、地域の良い未来に繋がりうるきっかけになると思っています。
授業の最後に必ずお伝えしている話があります。
それは、遠州には私たちの目に見えないところに、すごい職人さんたちがいるということ。
大谷翔平さんは世界的なスーパースターです。ものすごい努力をして、ものすごい結果を残し、それがテレビや新聞でたくさん報道されるから私たちはすごい、ということを知ることができます。
同じように、遠州織物は世界で活躍している生地です。職人さんたちはすごい技術で努力をし、世界的に有名な生地を作っています。でも、テレビや新聞で報道されなければ、知られることがありません。隣の家に住んでいる人さえも知りません。
遠州織物は今、消えてなくなってしまいそうだけど、一生懸命がんばっているその職人さんたちは、みんなが「すごい」と思ってあげるだけですごく嬉しいです。
ぜひ、そのことを知って、まわりに伝えてあげてください。それが、遠州織物を作ってくれている人たちの力になります。
かつては3000軒以上あった遠州の機屋さんも、現在50軒以下。
遠州織物の端材の提供、棚田で作る綿花の種の提供、どちらも、地域の未来につながる突破口になると思っています。
そして、HUISを通してこうした活動ができることを、私たちはとてもうれしく思います。
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高品質な“遠州織物”を使用したシンプルな衣服。
ふくふくとした豊かな生地の風合いを大切に。
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